収蔵品

南方熊楠顕彰館の主な収蔵品

熊楠の蔵書・資料・標本等は熊楠の没後主に南方邸の土蔵に保管されていました。昭和40年に南方熊楠記念館が白浜町に開館した際、一部を持ち出し展示しました。また、隠花植物を中心とした約25,000点の標本は熊楠の娘文枝により国立科学博物館植物研究部に移管されています。南方熊楠顕彰館の資料はその後も南方邸に残ったもので、熊楠手沢本、稿本、関係書簡等、熊楠研究の核となるべき中心的な資料群です。

ロンドン抜書(1895~1900)

 南方熊楠が巨大な博識と、幅広い文明観を持つに至ったのは、実に5年の年月を費やし、全52巻におよぶこ … 続きを読む

田辺抜書

 1904(明治37)年10月から田辺に定住後、熊楠は戸外での植物採集や調査、執筆、そして1909( … 続きを読む

日記

 熊楠の日記でまとまって残っているのは、1885(明治18)年以降である。東京大学予備門在学中の18 … 続きを読む

備忘録

 1883(明治16)年3月からの備忘録。熊楠が東京の共立学校在籍時であり、当時の東京の物価を知る手 … 続きを読む

雑誌

 熊楠がよく寄稿した雑誌には、飛弾史壇(飛弾史談会)、ドルメン(岡書院)、俚俗と民譚(単美社)、民俗 … 続きを読む

家族写真

 1906(明治39)年7月、熊楠は和歌山中学時代からの親友で田辺町で開業医をしていた喜多幅武三郎の … 続きを読む

ロンドン戯画

 1903(明治36)年2月10・18日に、那智山麓大阪屋から田辺の素封家多屋寿平次の二女たかにあて … 続きを読む

ミナカテラ・ロンギフィラ彩色図(グリエルマ・リスター 画)

 1916(大正5)年5月、熊楠は田辺の中屋敷町36に約400坪の家を求めて移り住んだ。終(つい)の … 続きを読む

採集用具

 1900(明治33)年イギリスから帰国した熊楠は、翌年10月より熊野にて足掛け3年、約21ヶ月にお … 続きを読む

在米時代の切手帳

 熊楠蒐集の切手帳は1887(明治20)年前後のもの1冊(88頁)、1888年のものと思われる1冊( … 続きを読む

原稿

 熊楠は1892(明治26)年ロンドンで雑誌寄稿による著述活動をはじめた。初期の10年間はすべて英文 … 続きを読む

キャラメル箱

 1929(昭和4)年、昭和天皇が南紀に行幸され、田辺湾に浮かぶ神島で調査、その後お召艦上で、熊楠が … 続きを読む

土宜法龍宛書簡(南方マンダラほか)

 南方マンダラと呼ばれる図は、主に二つあり、いずれも後に高野山真言宗管長となる土宜法龍に宛てた書簡の … 続きを読む

南方二書

 東大植物学教授であった松村任三(1856~1928)宛の二通の長文の手紙(手紙は1911(明治44 … 続きを読む

履歴書

 1925(大正14)年1月31日・2月2日付の書簡の通称で、日本郵船会社大阪支店副長の矢吹義夫氏が … 続きを読む

柳田國男来簡

 熊楠は、『東京人類学会雑誌』(1911年2月刊行)に、「山の神オコゼ魚を好むということ」という論文 … 続きを読む

上松蓊宛書簡

 上松は新潟県長岡出身で、古河鉱業の門司支店長を務めたが、薬草や香道に詳しく、書を能くし、摂政宮への … 続きを読む

孫文関係資料

 熊楠と孫文は、1897年3月16日、大英博物館の東洋図書部長ロバート・ダグラスのオフィスで初めて出 … 続きを読む

腹稿

 熊楠は、1914(大正3)年の正月、博文館の雑誌『太陽』に「虎に関する史話と伝説、民俗」の論文を発 … 続きを読む

収蔵状況

 顕彰館内の収蔵庫の面積は約120平方メートルで、蔵書・資料保存整理用の棚約300、抽斗(引き出し) … 続きを読む