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第33回南方熊楠賞【自然科学の部】選考報告

南方熊楠賞選考委員会(自然科学の部)
委員長 鷲谷 いづみ
第33回南方熊楠賞(自然科学の部)は、慎重に審議した結果、南方熊楠賞の受賞者に塚谷裕一氏を選考した。


選考委員会は第33 回南方熊楠賞の受賞者として、東京大学大学院教授の塚谷裕一氏を選出した。

南方熊楠は、前世紀初頭の英国のナチュラルヒストリー(自然誌)に接し、その後の生涯を通じて、その幅広い知の営みと成果を一般に伝える文筆活動に尽力した。それから1 世紀ほどの年月を経た現在、ナチュラルヒストリーは、「生物多様性」と人間にとってのその恩恵である「自然の恵み」を持続させる「自然との共生」のための知識・知恵・思想を社会に伝える役割も担っている。

熱帯林でのフィールド研究が盛んになった前世紀半ば以降、生態系の中に網の目のように張り巡らされている生物種間の関係の科学的な理解が広がり、深まりつつある。植物の受粉や種子分散における動物との共生関係は古くから知られていたが、地下で結ばれている植物と菌類との栄養面での強い絆、「栄養共生」の科学的解明が進むようになったのはごく最近のことである。多くの植物が、菌根を発達させて、菌類と栄養共生しており、森林の地下にはそのネットワークが広がっている。その究極のあり方が、光合成をすることなく、菌根を介して完全に栄養を菌類に依存する、従来、腐生植物とも呼ばれてきた「菌従属栄養植物」である。

地球上の生態系の中でも特筆すべき生物多様性を誇ってきた熱帯雨林は、今では人間活動に起因する改変・劣化が著しい。菌従属栄養植物は、希少なだけでなく、小さく目立たないため、人知れず絶滅しているものも少なくないと考えられる。そのような希少な植物を探索して命名する、すなわち科学的に認識することは、「生物多様性の保全と持続可能な利用」という社会的な目標に寄与するナチュラルヒストリーの重要な仕事である。

塚谷氏は、東南アジアに残されている原生的な熱帯雨林を精力的に踏査し、インドネシアボルネオ島のブトゥン・クリフン国立公園でタヌキノショクダイ属の新種、Thismia betung-kerihunensisを発見するなど、菌従属栄養植物を含む新種や変種などを見い出して命名することに尽力してきた。東南アジアの熱帯林をはじめとする国内外でのフィールドワークを通じて、1 つの新属、30 の新種を含む44 の植物の新分類群を命名した。それは、現代の生物多様性ナチュラルヒストリーとして高く評価される業績である。

塚谷氏は、1964 年に神奈川県で生まれ、1988 年に東京大学理学部を卒業、1993 年には東京大学大学院理学系研究科博士課程修了して博士(理学)の学位を取得。岡崎国立共同研究機構・基礎生物学研究所:統合バイオサイエンスセンター助教授を経て、2005 年からは東京大学大学院理学系研究科教授として植物学の研究と教育に従事している。その間、2017 年から 2021 年まで理学系研究科附属植物園(小石川植物園)園長を兼務し、2020 年から2022 年までは東京大学理学部生物学科学科長を兼務されている。

塚谷氏は、野外研究ですでに述べたような業績をもつだけでなく、最先端の分子レベルの植物学の研究でも、光合成器官である葉の発生、形態形成における遺伝子経路の解明において世界をリドする研究成果を多くあげてきた。

植物の葉は、形や大きさや付き方などがきわめて多様であり、その多様性の理解は植物学の中心的な課題でもある。塚谷氏は、葉の形態がどのような分子遺伝学的しくみによって形づくられるかを理解する上での基本といえる「ルール」のいくつかをモデル植物をつかって明らかにし、葉の多様性を理解する途を切り拓いた。さらに、 アスパラガスの仮葉枝、食虫植物サラセニアの袋状の捕虫葉、アヤメやネギなどの葉の裏面の性質しかもたない単面葉、1枚の子葉を無限に成長させその葉だけで一生を過ごすモノフィレア(イワタバコ科)など、通常の葉とは異なる形態をもつ葉が形成される分子的なしくみの解明においても顕著な成果をあげてきた。これらは、分子生物学時代の植物ナチュラルヒストリーの業績として高く評価される。塚谷氏は、葉の形態形成の分子的な仕組みに関する優れた業績が主に評価されて、日本植物学会学術賞、日本植物形態学会賞、紫綬褒章をはじめとする、いくつもの賞を受賞している。

塚谷氏は、研究成果や植物誌を広く一般に普及する執筆活動を精力的に行っている。菌従属栄養植物の新種発見のエピソードを含むフィールドワークの成果を記した「森を食べる植物:腐生植物の知られざる世界」(岩波書店 2016)など、多くの植物誌の著作がある。熊楠は、植物と人間の共生関係の象徴ともいえる果物に強い関心を寄せたが、塚谷氏の著書の中には、「カラー版 ドリアン―果物の王」(中公新書 2006)など、果物を題材としたものもある。これら活発な執筆活動には、熊楠翁に通ずるものがある。

選考委員会は、熱帯林におけるフィールドワークや分子レベルの先端的研究、執筆活動によって、現代の植物学と生物多様性の科学に比類なき貢献をなしつつある塚谷氏を、第33 回南方熊楠賞にもっともふさわしい研究者であると評価し、受賞者として選考した。