南方熊楠賞選考委員会(自然科学の部)
委員長 堀越 孝雄
第31回南方熊楠賞(自然科学の部)は、慎重に審議した結果、南方熊楠賞の受賞者に山極寿一氏を選考した。
本委員会は、慎重審議の結果、次の通り受賞者として山極寿一氏を選考した。山極氏は、1980年京都大学大学院理学研究科博士後期課程を研究指導認定・退学し、1987年京都大学理学博士、その後、京都大学霊長類研究所助手、同大学理学研究科助教授、教授、理学研究科長・理学部長などを歴任し、2014‐2020年京都大学総長、2017‐2020年日本学術会議会長の要職を務めた。
山極氏の研究分野は人類学・霊長類学である。氏の研究活動は、1975年京大大学院修士課程在学中にニホンザルの形態特性の変異を調べることからスタートし、その後屋久島のニホンザルの群れの社会構造が交尾相手の確保と食物をめぐる争いの中でダイナミックに変動することなどを明らかにした。山極氏は、博士課程進学後1978年にゴリラ研究の道に飛び込んだ。アフリカの熱帯雨林のゴリラは、東部のヒガシゴリラと西部のニシゴリラの2種に、さらに両者はそれぞれ2亜種に分類される。氏は、まずコンゴ東部のヒガシローランドゴリラについて、あまたの困難を克服しピグミーの協力も得ながら単身数ヶ月間現地に滞在して調査を行い、マウンティングや毛づくろいなどの社会交渉をほとんど示さないこと、さらに群れの構成や2集団間の関係などについて明らかにした。ついで、山極氏は1980年ルワンダに移り、ゴリラ語を駆使しながら単身マウンテンゴリラの群れに終日接触し、彼らが社会交渉をめったに示さないが、相手の顔を覗き込んで意思疎通し、オス同士の疑似的な性交渉により関係を維持するなど多様な行動様式と社会関係をもつことを明らかにした。また、群れはあらゆる判断をリーダーオスに委ねて優劣順位をつくらず、そこには人間の家族の原型ともいえるものが見られた。1987年からは、コンゴでゴリラとチンパンジーという近縁な類人猿の共存の仕組みについて現地・日本の研究者からなるチームを率いて調査を開始した。その結果、ゴリラもチンパンジーも果実をよく食べるが果実の少ない季節にはそれぞれが異なる食物を代用すること、さらにチンパンジーは果実の少ない季節には群れを離散させて食物を探すこと、一方ゴリラは代用食物が豊富に存在するので群れを崩さないことなどが分かった。つまり、両者の共存は、異なる食物を選ばせ、異なる社会をつくる契機にもなったと考えられた。1994年からはガボン共和国で共同研究者とともにニシローランドゴリラの人付けを行い、ゴリラが食べ物を分け合うことを見い出したが、この行為には人間性の起源を探るヒントが隠されていると思われた。
山極氏の研究成果は、110余の原著論文として多くは国際誌に公表されている。そのほかに、130余の著書、630余の総説・解説などを著し、研究成果を分かりやすく説明し啓蒙活動に努めている。氏は多くの日本人研究者を育成するとともに、現地研究者の学位取得やアフリカ人留学生の受け入れにも務めている。
山極氏は研究活動のみではなく、1992年には地域主導によるNGO「ポレポレ基金」を設立し、ゴリラの保全やゴリラとの共存をさぐる活動を展開している。2009年からは、ガボン共和国においてゴリラを中心としたエコツーリズムの可能性についても模索しつつある。
特筆すべきは、山極氏が、コロナ禍、地球環境崩壊の危機といった混迷の時代にあっていかにあるべきかという問題について、人類と人間社会の進化成立についての深い洞察の上に立って出版物・新聞・テレビ等によって積極的に発信していることである。このように、山極寿一氏は徹底したフィールドワーカーであり、自然のサルやゴリラの群れの懐に飛び込むことにより多くの新知見を得、さらにはゴリラの保全活動に取り組むなど、氏の姿勢はまさに熊楠翁の精神を彷彿させるものであり、受賞者として選考した。