建設の経緯

■南方熊楠顕彰・顕彰館建設の経緯

 南方熊楠翁(1867-1941)が生涯を費やして蓄積した人文・自然科学の多岐にわたる膨大な研究資料のほとんどは、翁が後半生を過ごし、研究活動の拠点とした田辺市の邸内、特に書庫内に遺されることになりました。これらは、翁の没後、ご遺族の方々が中心となって大切に保存され、ほぼ散逸することなく現在まで受け継がれています。

 1965(昭和40)年には、白浜町番所山に「財団法人 南方熊楠記念館」が開館し、以後多くの来館者を迎え、翁の業績を広く紹介してきました。

 田辺市においては、この南方熊楠翁の業績を顕彰し、あわせてその終の栖となった邸を保存することを目的として、1987(昭和62)年6月に「南方熊楠邸保存顕彰会」(以下、顕彰会)を発足しました。この顕彰会は、1989(平成元)年から全国に向けて募金活動を展開し、その結果として各方面から多額の寄付が集まりました。市および顕彰会は、これらの浄財とふるさと創生資金による基金を積み立て、その利息を財源として邸内の資料の調査研究や整理保存、南方熊楠賞の制定、南方を訪ねての開催、南方邸の公開等、翁の業績を顕彰する事業を実施してきました。

 2000(平成12)年6月に翁の長女の南方文枝氏が逝去され、南方邸ならびに邸内の蔵書・遺品・草稿・標本などの資料は田辺市に遺贈されることとなりました。これを契機として、将来にわたってこの先人の遺産を恒久的に保存し、その思想および学問活動に関する調査・研究を充実させるとともに、その成果を発信するための拠点を設置することが急務となり、2002(平成14)年に顕彰会により南方熊楠研究所(仮称)基本構想を策定し、同年に南方熊楠研究所(仮称)建設委員会を設置、2003(平成15)年に建設委員会において「南方熊楠研究所(仮称)基本計画案」を策定し、答申されました。

 「南方熊楠を全国、世界に向け情報発信する絶好の機会であり、熊楠の名を冠する施設という観点で、設計業務にもっとも適した設計候補者を公開式のコンペ方式により選考する」という基本計画案の提案により、2003(平成15)年5月より南方熊楠研究所(仮称)設計提案競技を行い(設計提案競技についての詳細は頁)設計者を選考し、12月に最優秀作品提案者と設計業務委託契約を結び、設計業務を進めました。2004(平成16)年8月には、仮称であった施設名を「南方熊楠顕彰館」と決定し、同年9月に入札により施工業者を決定、建設に着手し、2005年(平成17)年7月に竣工しました。

 また、南方熊楠旧邸についても、2005(平成17)年11月より熊楠翁往時の雰囲気を彷彿させるよう、復元・改修する工事に着手し、2006(平成18)年3月に工事完了しました。