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田辺市生涯学習フェスティバル記念イベントのお知らせ

〇田辺市生涯学習フェスティバル記念イベントのお知らせ

・収蔵庫特別入室体験(先着30名様)
受付:10時~10時30分
25,000点以上の資料を保管する収蔵庫を特別に見学できます。

・オリジナルグッズ抽選会(先着30名様)
先着30名様に、てぬぐいやマスキングテープなどの
顕彰館オリジナルグッズを抽選でプレゼントします!

日時:2022年11月26日(土)
場所:南方熊楠顕彰館(10時~17時(16時半最終入館))

<お問い合わせ>
南方熊楠顕彰館
TEL:0739-26-9909
E-Mail:minakata@mb.aikis.or.jp

新作グッズ「ミニハンカチタオル」「ジグソーパズル」販売開始!

新作グッズ「ミニハンカチタオル」「ジグソーパズル」の販売を開始しました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊楠が残したスケッチでデザインしたミニハンカチタオルと、熊楠の写真によるジグソーパズルです。

購入方法は以下のリンクよりご覧ください。

ミニハンカチタオル

ジグソーパズル

館長交代のお知らせ

このたび、南方熊楠顕彰館館長 曽我部大剛が令和3年3月31日をもちまして退任いたしました。新たな館長に、令和3年4月1日付で松居竜五(まつい・りゅうご)が就任いたしましたのでお知らせします。

新館長の松居竜五は、大学院生の1990年に初めて田辺市の南方熊楠邸を訪ね、その後、南方熊楠資料研究会、南方熊楠顕彰会の一員として、初期の邸内資料調査から熊楠研究・顕彰事業に深く関わってまいりました。南方熊楠顕彰館建設時は、建設委員会委員や設計提案競技審査員を務めています。現在、南方熊楠顕彰会理事・学術部委員、南方熊楠研究会運営委員、『熊楠研究』編集委員、熊楠関西研究会等を兼任しています。
新館長とともに、南方熊楠研究の拠点としての活動を一層発展してまいりますので、引き続き南方熊楠顕彰館へご指導・ご支援を賜りますようお願い申し上げます。

松居 竜五(まつい りゅうご)

■略歴
1964年 京都府生まれ
1991年 東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退
同大学教養学部講師
1994年 ケンブリッジ大学客員研究員
1997年 駿河台大学助教授
2001年 龍谷大学国際文化学部助教授
2007年 同大学同学部准教授
2012年 同大学同学部教授(2015年 学部名変更)
2016年 東京大学大学院総合文化研究科 論文博士(学術)
現在 龍谷大学国際学部教授、日本国際文化学会事務局長

■受賞歴
1992年 小泉八雲賞奨励賞
2017年 第14回角川財団学芸賞

■館長就任のごあいさつ
この度、南方熊楠顕彰館長を拝命いたしました、松居竜五でございます。
1867年に生まれた南方熊楠は、若き日に米英で学問的研鑽を積んだ後、那智での思索の日々を経て、37歳で和歌山県の田辺にたどり着きます。後半生の熊楠は、紀伊半島の生態を調査するための拠点として田辺を位置づけるとともに、ここから文通による国内外の学者との対話を続けました。そのような環境の中で、民俗学と博物学を中心とした、あらゆるものを対象とする独自の学問が、切り開かれることとなりました。
熊楠の没後、その資料は遺族の手によって、旧邸の蔵の中にたいせつに保管されることになりました。2006年に旧邸の隣地に建設された南方熊楠顕彰館には、それらのほとんどが移管されています。現在、顕彰館には、熊楠が生涯にわたり蓄積したさまざまな書籍や抜書やメモ類、標本などの資料が、ほぼ当時のままの状態で残されています。
こうして奇跡的に継承された熊楠の遺産を受け継いだ南方熊楠顕彰館では、関連機関やさまざまな分野の研究者と協力して、熊楠の学問の全体像を明かにする作業を続けてきました。これまで、地元の田辺のみなさまの厚いご支援と、外部に開かれた研究体制によって作り上げられてきた顕彰館のさらなる発展のために、微力ながら精一杯努めたいと考えております。どうかこれからも、みなさまのお力添えをいただけますよう、伏してお願い申し上げる次第です。

令和3年4月1日
松居 竜五

悼 川島昭夫先生(京都大学名誉教授)が逝去されました

ご冥福をお祈り申し上げます

南方熊楠顕彰会協力研究者の川島昭夫先生が逝去されました。69歳でした。

川島先生は、昨夏以来入院加療中でしたが、今年1月末に容態が悪化し、2月2日にお亡くなりになりました。

川島先生は、イギリス近代史研究者で、南方熊楠資料研究会(当時)による南方邸蔵書・資料調査に1993(平成5)年以来参加され、特に洋書蔵書の目録作成にご尽力いただきました。

また、柑橘類研究者の田中長三郎と南方熊楠の交流について、一次資料にもとづく詳細な調査と考察を残されました。昨年の南方熊楠顕彰館の月例展「田中長三郎」(2019年2月~3月)、「ウォルター・T・スウィングル」(同年6月~7月)でも、中心となって活躍されました。ご研究が進行中だっただけに、哀惜の念に堪えません。

ここに改めて、川島昭夫先生のご功績と南方熊楠研究へのご尽力に対し敬意と感謝を申し上げ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

悼 飯倉照平先生が逝去されました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 南方熊楠顕彰会の前副会長(2011年4月~2015年3月)で、南方熊楠特別賞(第14回時)を受賞された飯倉照平先生が2019年7月24日に逝去されました。
  飯倉先生は、第1回南方熊楠特別賞受賞者の長谷川興蔵先生とともに、平凡社刊『南方熊楠全集』の刊行に携わられるとともに、『南方熊楠-森羅万象を見つめた少年』などの著書をもって、熊楠翁の業績や人となりを広く世に紹介されました。
  また、南方熊楠資料研究会の会長として、翁の残した膨大な資料の調査を通して「南方熊楠の基礎的研究」を進められ、『熊楠研究』の編集や『南方熊楠邸蔵書目録』『南方熊楠邸資料目録』の刊行等にもご尽力いただきました。
  ここに改めて、飯倉照平先生のご功績、並びに南方熊楠顕彰事業へのご尽力に対し敬意と感謝を申し上げますとともに、南方熊楠特別賞ご受賞時の選考報告、コメントとお写真を紹介し、ご冥福をお祈り申し上げます。

〇南方熊楠特別賞選考報告(岩井宏實 選考委員長)
­  第14回選考委員会では、熊楠翁の業績の顕彰に功績のあった方へ贈る特別賞に、飯倉照平氏を選んだ。氏の専攻は中国文学で、なかでも口承文芸の研究では一人者である。それと共に、早くから熊楠翁の顕彰事業に深くかかわってこられた方である。
  翁の業績の全体像が、一般に広く知られだしたのは1971年から刊行が始まった二回目の全集(平凡社刊、計12巻)以後だといわれている。その編集の中心人物は、第一回特別賞受賞者の長谷川興蔵氏だが、飯倉氏はその重要な協力者であった。その後も二人は協力して、全集を補う資料集である『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』(平凡社、1975年)、『南方熊楠土宜法竜往復書簡』(八坂書房、1990年)などを世に問うた。このほかにも、単独あるいは他の人と共同して『南方熊楠 人と思想』(平凡社、1974年)、『南方熊楠を知る辞典』など、翁を顕彰する数々の著書の編者や校訂者となっている。また、『南方熊楠ー森羅万象を見つめた少年』(岩波ジュニア新書、1996年)のような、翁の人となりを少年たちに分かりやすく紹介した著作もある。
  さらに大きな顕彰業績として注目されるのは、翁の残した膨大な資料の調査研究を行っている「南方熊楠資料研究会」のリーダーとしての役割である。同研究会は、田辺市と南方熊楠邸保存顕彰会の協力のもとに発足、南方邸に保存された蔵書や動植物などの標本、手紙や文書などの資料類の調査と整理を目的に組織されたものである。1992年から毎年春と夏の二回、毎回一週間ほど、10人から20人のメンバーが、田辺市の旧邸宅で、台帳や目録づくりを続けている。
  翁の業績が多岐にわたることから、集まる学者や研究者たちの専門もまちまちである。近年は学際間の共同研究は盛んで、新しい学問研究の方法論の一つとして定着した感がある。しかし、現実問題として、専門を超えた研究者が一緒になって、共同作業を続けるのは難しく、ひとえにリーダーの力量にかかっているといわれる。同研究会は典型的な学際研究であるが、氏の人柄によってチームはまとまり、着実に成果をあげている。当初の目標とした熊楠邸所蔵品目録の刊行もそう遠くないと思われる。
 同研究会は資料整理をすると同時に「南方熊楠の基礎的研究」を目指し、その成果は同研究会編の定期刊行物『熊楠研究』に報告し続けている。同書はすでに第5号が刊行され、「熊楠学」学術誌として、学界で認知されだした。それも飯倉氏というリーダーを得たから、と言っても過言ではない。同研究会に集うメンバーは、近く建設予定の南方熊楠研究所(仮称)の活動を支える、主要メンバーとなることは間違いないことを付け加えておきたい。

〇第14回南方熊楠特別賞受賞コメント
  三十数年前、まだ三十代なかばであったわたしは、たいへんな仕事になるとは思わず、平凡社版『南方熊楠全集』の校訂を引き受けました。昼夜兼行のきつい作業を数年間つづけながら、わたしは熊楠が一面的にしか理解されてこなかったことへの義憤を感じていました。
  その二十年後、邸の蔵書や資料の調査を手伝ってくれませんかと声をかけられて応じたのも、そんな気持ちが残っていたからでしょう。平凡社版全集の責任者で南方熊楠特別賞の第一回受賞者である長谷川興蔵さんが亡くなった直後で、バトンを渡されたような心境で邸の調査を手伝いはじめて、早いものでもう十年あまりになります。
  いっしょに調査をしてきた多くの人たちをさしおいて、わたしがこの賞をいただく資格はないように思いますが、平凡社版全集にかかわりをもった一人として、新しい人たちの研究への橋渡しをしようと努力した点を認めていただいたものと、自分には言い聞かせています。