八幡神社

石清水八幡宮より勧請
田辺城の鬼門鎮守

八幡神社

八幡神社
 1622(元和8)年、領主安藤直次の命で石清水八幡宮から勧請し、湊山崎(八幡横手)に鎮座。田辺城の鬼門にあたる方面であり、その鬼門除けとして祀ると伝えられました。明治42年蟻通神社境内に移して、その末社とされました。


写真裏書
西牟婁郡湊村 横手八幡社跡
九 藩主安藤直次の兜に祭りし八幡を祀る。
田辺に近き湊村。
横手八幡社 旧田辺城の鬼門鎮護
一昨年十二月、他の境内狭き神社へ合併、その費用百二十円、しかして跡地の鳥居、石段等を破壊したまま今に放棄し、折角の勝景の地を早晩樹木絶え泉水枯れたる荒地となしおはるべき者。
この神木など伐られたなら、道路非常に荒れるなり。道路は田辺より本宮へ行く中辺路の発端なり。合祀の為に、社蹟荒寥たること、丸で神を曝し物にせし如し。日高郡の諸神社みなこの通りなり。(南方二書三〇頁)


〇寄り道
熊野街道道標(道分け石)
 中世の御幸道は、会津川を渡らず出立王子からそのまま川に沿って北上していましたが、近世になり田辺城下町が出来ると、その城下に街道が取り込まれました。会津橋(旧会津橋)を渡って田辺城下に入った街道は、本町・長町(栄町)を通り、北新町から中辺路と大辺路に分かれるようになりました。本町と北新町には今も道標が残っています。
 北新町道標の石柱は、1857(安政4)年に建てられたもので、ここで中辺路と大辺路にわかれます。中辺路は北新町から北に向かい三栖口・万呂を通り、上富田に至り、大辺路は北新町から味光路を通り、礫坂より新庄に到るルートです。

北新町道標

 


蟻通神社
 蟻通神社の森は湊本通りに面し、裏は海蔵寺境内に接して、この二つの社寺の樹林を合した形で一つの森をつくっています。もと県指定の天然記念物であったクスの大木と、この地方では珍しいイチョウの雌株の大木があります。この二本の木はまわりに並んで生育しているクス・イチョウ・エノキ・イヌマキなどの樹林によって保護されています。
 かつては、タブ林を主体とした照葉樹林であったものが、市街地の中心部に位置するため、樹林が周囲から蚕食されて減少し、現在では低木層や林床の植物は消滅し、森林としての形態をもっていません。しかし、年々減少する市内の森の中で、今日でも鳥類の休憩の場であり、生物の生育地として、また市民の憩いの場として、大切な森の一つです。
 神社の社殿は、神社森と一体となり、古くから鎮守の森として人々が親しみ大切にしてきたものです。


味光路
 北新町で中辺路と大辺路に分かれ、大辺路は味光路を通り、新庄に続きます。1932(昭和7)年に鉄道が紀伊田辺駅まで開通すると、駅に近いこともあり、多くの飲食店が集まりました。現在でもJR紀伊田辺駅前の西側、約200メートル×150メートルの狭いエリアに、200店舗以上の飲食店が軒を連ねます。「親不孝通り」と呼ばれていましたが、1935(平成10)年に、公道に照明を埋め込むという全国でも希な方法で整備されたのを機に、味光路と名称を変えました。

 


八幡神社