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悼 中瀬喜陽先生が逝去されました

ご冥福をお祈り申し上げます。


 当館(南方熊楠顕彰館)の初代館長及び名誉館長で、南方熊楠特別賞(第23回時)を受賞された中瀬喜陽先生が平成30年3月11日に逝去されました。
 中瀬先生は、田辺市で南方熊楠翁顕彰事業が始まる以前の昭和40年より熊楠研究に邁進され、特に地元の関係者を尋ねては話を聞かれたり、資料を発掘し発表されたりしました。
 こうした先生の研究活動の積み重ねが、昭和62年の南方熊楠顕彰会設立の大きな土台となりました。また、平成18年の南方熊楠顕彰館開館に伴い、初代館長に就任され、後進の育成にご尽力されました。
 平成29年度は南方熊楠翁生誕150周年の年で、田辺市と南方熊楠顕彰会では南方熊楠生誕150周年記念事業実行委員会を組織し、様々な顕彰事業を実施してまいりましたが、その事業を見届けられてから旅立たれたような気がします。
 ここに改めて、中瀬喜陽先生のご功績、並びに南方熊楠顕彰事業へのご尽力に対し敬意と感謝を申し上げますとともに、南方熊楠特別賞ご受賞時の選考報告、コメントとお写真を紹介し、ご冥福をお祈り申し上げます。

〇南方熊楠特別賞選考報告(馬渡駿介選考委員長)

 今回の選考委員会では、南方熊楠研究において顕著な業績のあった人を対象とする特別賞に、9年ぶり、中瀬喜陽氏を選んだ。氏は今日のように進んだ熊楠研究の基礎をつくったパイオニアの一人として、早くから特別賞候補者に推されていた。しかし、現職の南方熊楠顕彰館館長であるため見送られていたが、平成24年3月に同職を退任したことを機に、すみやかに贈るべきだと意見が一致した。
 氏は大学を卒業後、故郷の中学校に赴任、その後高校の国語教諭となり定年を迎えた。もともと文学・歴史・民俗学などへの関心が深く、教師として教壇に立つかたわら、地元の南紀を対象にした地域文化の研究に力を傾注してきた。そのなかで40数年前に出合ったのが、終の住処を田辺に定めた博物学者・南方熊楠翁である。友人知人と交わした手紙を読み、そのユニークな人柄に魅せられたという。筆まめだった翁はさまざまな形で膨大な記録を残している。だが、その大半が未整理状態であることを知り、熊楠研究をライフワークとすることを決意したそうだ。
 イギリスから帰国後、翁は南紀以外にほとんど出なかったのに、知名度が高かったのは学術誌、新聞、雑誌、単行本、書簡などに、自らの論考を次々と発表したことにある。それらの著述をもたらした知見は「ロンドン抜書」をはじめとして、克明に記したメモや日記類、それに数多くの手紙だった。翁を知る基本資料として印刷された文献の他に、これらのものは大変貴重だが、その文字や文章には独特の癖があり、脈絡もなく書き込みがあったりして、誰もが気楽には読み辛い。中瀬氏はそれを根気強く解読、また翁を知る人への聞き取りを通して、熊楠研究に次々と新資料を加えた。それは「南方熊楠アルバム」「覚書南方熊楠」などを主として公刊されている。氏は成果を単に著作としてまとめるだけでなく、市民や研究者を対象に熊楠自筆資料の解読講座を開き、後進の指導にも取り組んできた。
 こうした研究者としての活動だけではなく、翁の顕彰事業の推進に果たした役割も大きい。現在のような状態で熊楠邸や資料が保存されているのは、周知のとおり昭和62年に発足した南方熊楠邸保存顕彰会(現南方熊楠顕彰会)の尽力の賜物である。氏は同会の呼びかけ人の一人であり、常任理事や副会長を務め、同会の事業を継承して平成18年に開館した南方熊楠顕彰館初代館長に就任した。こうした氏の経歴や業績は南方熊楠特別賞にふさわしい。」

〇第23回南方熊楠特別賞受賞コメント

 私の南方熊楠との出会いは、昭和四十年の初めでした。門弟宛一連の書簡にふれるうち、熊楠に師事協力した当地方の人宛の書簡の所在を知ることができました。当時『南方熊楠全集』が平凡社より版を改めて出る時期で、私は地方に散在する書簡の重要性を思い『全集』への登載を強く望み一部を実現させてもらいました。以来、書簡の発掘と翻字、資料、日記の解読が私の日常となりました。又、熊楠を知る古老や当時奉公していた「およどん」(お手伝い)を捜し尋ねては十余名に面接し、生前の熊楠の日常や人柄を聞けたことも大きな収穫でありました。
 これらの経緯を経て、“南方熊楠を知る”ことが私のライフワークとなり楽しく関われたことを幸せに思います。その上、このたび特別賞まで頂くことは望外の喜びであります。厚く御礼申し上げます。