高原熊野神社

 継桜王子の東約11kmに位置し、熊野参詣道中辺路沿いの高原の村落に隣接する神社である。1402(応永9)年に熊野本宮大社から勧請したと伝わり、一間社春日造檜皮葺の本殿は室町時代の遺風を残す。社名は江戸時代まで熊野権現社であったが、明治元年に高原熊野神社へと改称した。東西約40m、南北約50mの境内には巨大なクスノキをはじめ、ウラジロガシ・タブノキ・カゴノキなどの大木が叢生し、かつてのシイ・カシ林の様相を示す貴重な神林となっている。『南方二書』には、樹齢800年以上もの大樟樹の一部を削って棒を造りご神体としたことを記し、高弟の小畔四郎に宛てた1929(昭和4)年10月7日付けの書簡には、周辺の村民が一丸となって反対したため合祀が立ち消えとなったことを記した。樟樹をはじめとする一群の巨樹に覆われた境内は、今なお霊場の優秀な風致景観を保っている。

今回の神社合址にて熊野街道の樹林は絶滅せるなり。そのうち高原の王子(『源平盛衰記』によれば、今日チベットのラッサに上るごとく、熊野を死の神の楽土とし一同上りしにて、この高原王子を下品下乗の最初階楽土とせしなり)に、八百歳ばかりという大樟樹あり。この木を削りて棒とし、これを神体とす。
この樟を伐り利を営まんため合祀を逼ることはなはだ切なりしに・・・
                『南方二書』


南方曼陀羅の風景地
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