第4回月例展(終了)


イベント詳細


第4回月例展として、熊楠が行った、神社合祀反対運動をテーマに展示を行っています。

展示パネルの紹介
熊楠が神社合祀の意見を初めて発表した、1909年(明治42年)9月27日の「牟婁新報」

神社合祀反対、植物保護を訴えて東大教授松村任三にあてた二通(明治44年8月21日、同29日付)の手紙は、柳田國男によって「南方二書」として各方面に配布され、合祀反対の世論をかもし出していった。

南方熊楠が松村任三東京大学教授へ宛てて明治44年8月にしたためた2通の書簡。これらの書簡は「南方二書」の名で知られてきた。明治40年代における南方の重要な社会活動である神社合祀反対運動の課程で書かれたもので、この分野での南方の著述のなかでも質・量ともに中核をなす。

熊楠が、反対運動を開始する「発端の動機」となった神社。熊楠はこの神社の「唐樟(たぶのき)」から新種の粘菌を採取している。

神社合祀反対運動で、熊楠がもっとも力と頼んだのは東京では柳田國男、田辺では毛利清雅だった。毛利は牟婁新報社長(後、紀伊毎日新聞社長)など言論人として熊楠に紙面で援護するほか、県会議員(六期)として自然保護に協調した。話題にのぼる選挙事務長就任は、その長い友情にむくいる気持ちからであった。

担当
浜岸宏一