植物学

 植物学者・南方熊楠について両極端の評価がある。「植物学の大家である」という評価と「偉大な文学者であっても偉大な植物学者ではない」というものである。

 熊楠が主として研究した植物は、シダ、コケ、藻類、地衣類、キノコなどの花を咲かせない植物、すなわち隠花植物である。在米時代に菌類学者カルキンスから隠花植物研究の手ほどきを受け、植物の宝庫であるフロリダ、キューバヘ採集に出かけたことが若い熊楠に強い影響を与えたようだ。

1891年日記(当館蔵) この頃、フロリダからキューバへ渡り植物調査を行った。9月23日の記事に「朝より午後一時過ぎまで西郊海浜に歩す。所獲、藻類九種、羊歯科一種、菌類一種あり」と見える。

 隠花植物の仲間に、奇妙な生物・「変形菌」がいる。「粘菌」とも呼ばれ、「菌」とつくにもかかわらずアメーバのような生活をする。成熟すると、キノコのように胞子を作って休眠する。胞子は、発芽して再びアメーバになる。系統上、生物界のどこに位置するか定説がない。現在のところ分類方法により異なるが、アメーボゾアや原生生物として扱われたりしている。熊楠は、この変形菌に強く引かれて研究した。アーサーとグリエルマのリスター父娘との共同研究によって、熊楠は日本産変形菌の種数を、この方面の研究の先進国であるイギリスやアメリカに次ぐ数にまで高め、日本の変形菌研究史に輝かしい足跡を残した。

1895年日記(当館蔵)
在米英時代の採集菌類種数の記録。31種の変形菌(Mycetozoa)を採集している。

 しかし、熊楠は、変形菌だけではなく、淡水産の藻や「真菌類」と呼ばれるキノコにも大きな力を注いでいる。丹念に作られた4,000枚以上の藻の顕微鏡用プレパラート標本と詳細な英文説明の付いた3,000種を超えるキノコの彩色図が残されている。

菌類図譜(国立科学博物館蔵)
詳細な英文説明のついた熊楠自筆のキノコ彩色図。娘の文枝や、画家の川島草堂、楠本龍仙が描いた絵もある。

 ところが不思議なことに熊楠は、変形菌の目録以外にはほとんどまったく隠花植物研究の成果を発表していない。発表していなければ評価の仕方がないのである。噂だけが流れたために評価が極端に分かれてしまったのだろう。南方熊楠の植物学者としての正しい評価は、彼の残した莫大な数の標本が整理されて研究されるまで待たなければならない。

アオウツボホコリ(Arcyria glauca)の図(当館蔵)
熊楠が高山寺の麓の猿神社で発見した新種の変形菌。『A monograph of the mycetozoa』Second editionより。

 

アオウツボホコリ(写真、標本とも当館所蔵)

 

南方邸土蔵2階の様子(写真:当館)
隠花植物標本のほとんどは、ご遺族により国立科学博物館植物研究部(つくば市)に移管されている。

 

藻類プレパラート標本箱(当館蔵)

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