第5回特別企画展開催!! 終了しました


イベント詳細


『南方熊楠と小畔四郎 ~新規寄贈資料を中心に~』

本企画展では、平成19年に小畔四郎ご遺族より南方熊楠顕彰館に寄贈された、小畔四郎宛て南方熊楠書簡(明治35年〜大正10年)を中心とする現存資料によって、小畔四郎(1875-1951)と南方熊楠(1867-1941)の交流をご紹介いたします。
小畔四郎は、熊楠の変形菌(真性粘菌)研究を助けた最重要協力者・高弟としてよく知られた人物です。ふたりの交遊は1902(明治35)年、南方の那智山滞在時代にはじまり、明治37年頃で一度音信が途絶えましたが、大正3年に再び通信がはじまり、その後は1941(昭和16)年の南方死没まで交流が続きました。
当南方熊楠顕彰館に収蔵されている旧南方熊楠邸資料のなかには、熊楠の受け取った小畔来簡約570通と、平成年間になってから小畔四郎ご遺族から南方文枝さん(平成12年没)へ寄贈された小畔宛て南方書簡約1000通があります。そのうち南方の小畔宛て書簡は、小畔四郎が生前に受け取ったあと、ていねいに整理し、保管していたものです。それらは小畔ご遺族が長年保管されていましたが、田辺市と南方熊楠邸保存顕彰会による南方邸資料調査が行われていた1993(平成5)年に、小畔ご遺族が南方文枝さん(熊楠令嬢)を訪問され、そのおりに文枝さんへの寄贈というかたちで、南方家に戻ることになりました。
それらは、スクラップ帳四冊と、ペーパーフォルダー三箱に貼付および収納されており、スクラップ帳四冊には大正11年から大正15年まで、ペーパーフォルダー三箱には主に昭和の書簡が収められていました。
ところでこの時には、南方と小畔が出会った最初期の書簡を収めたスクラップ帳第一冊だけは、事情により小畔家に残されました。そのまま10年以上の間、この第一冊だけはひきつづき小畔家で保管されていましたが、2006(平成18)年に当南方熊楠顕彰館が開館し、旧南方邸資料が顕彰館収蔵庫に移管されたのを機会に、この第一冊も、あらためて南方熊楠顕彰館へご寄贈いただけることになりました。この寄贈が実現した2007(平成19)年6月には同時に、小畔の南方宛書簡を28点綴じ込んだ文書綴りなど、一括して保存されていた関連資料もご寄贈いただいています。こうして、南方熊楠の小畔四郎宛書簡は、南方邸で保管されていた南方宛小畔四郎宛書簡とともに、田辺市で一同に会することとなりました。
あらたにご寄贈いただいたスクラップ帳には、1902(明治35)年から1904年までと、1914(大正3)年から1921(大正10)年までの南方書簡113通が含まれており、旧南方邸資料とあわせると1,100点をこえる数字になります。南方の変形菌研究を支援し続けた小畔四郎宛の書簡は、そのすべてが南方熊楠を研究するための重要な一次資料ですが、とりわけ今回寄贈のものは、南方の那智時代と、高野山調査旅行の時期をふくむ、たいへん興味深いものです。
他方南方宛小畔四郎書簡は、今回新規寄贈の28通(その多くは、小畔が採集した変形菌リストに南方が書入れをしたもの)を加えて、計約600通が存在を確認されたことになります。
これらの内容は、一部が過去の熊楠評伝などで紹介され、また『熊楠研究』誌に熊楠の書簡のうち二割程度(昭和2〜4年分)が掲載されましたが、未紹介のものも膨大でした。
本展では、南方の前半生のなかでもとりわけ興味深い那智時代に書かれた、今回新規寄贈の南方書簡を中心に、南方熊楠と小畔四郎の終生に及んだ交流をご紹介いたします。

本展開催にあたり、南方熊楠関係貴重資料を永年保管され、南方家および田辺市・南方熊楠顕彰館に御寄贈いただいた故青山宮(小畔四郎令嬢)、小畔光一(小畔四郎令孫)両氏をはじめとする関係各位のご好意とご協力に厚く御礼申し上げます。
(特別展パネルより)
期 間
平成20年8月1日~9月15日
※8月9日は講演会『南方熊楠と熊野の伝承世界』開催のため午後から観覧を中止します。
会 場
南方熊楠顕彰館 学習室
展示内容
◆パネル
出会い(明治35年)から、中断を挟んでの交流再開(大正3年)までを中心に、那智での植物採集、変形菌の研究といった内容をパネルで展示
◆展示ケース
熊楠の日記、採集道具、南方書簡、小畔来簡などを展示ケースで展示します。
担当
田村義也
土永知子
橋爪博幸
浜岸宏一